
平成が始まった1989年1月8日から30年と5ヶ月弱、平成最期の日を迎えました。
「令和」とい元号は響きが美しいですね。
初めて耳にしたときに、花の香りと太陽の光を含んだ春風をイメージしました。
令和についての由来は色々なところで、書かれてますのでそちらは専門家の方にお任せして、
「令和」に秘められた可能性ってなんだろう?と言うことを数秘術から見てみたいと思います。
数字には人格が宿る、無意味な数字はない。
令和をアルファベットと数の対応で導き出される数字は「11」です。
REIWA = 9+5+9+5+1=29 2+9=11
11と言う数字は、10で完結した宇宙観を超越した高次元の数字です。
6と5の数字から成り立ち、5の個としての完全な肉体・ミクロコスモスと、6の調和性・マクロコスモス(但し肉体と融合せず葛藤がある)を融合した数字であり、男性性と女性性、天と地を含めた数字です。
ただし10という完全な宇宙観を超越している数字のため、過剰になり肉体的にも宇宙的にもはみ出した存在・・・11は2も含み、反抗や反発、不調和などを意味します。11は断罪の数字でもあります。
タロットいえば11は『正義』。
5にも正義は含まれるのですが、ここでの正義は個人の定義であり、社会的な正義ではありません。
個人で正しさを得ていく数字になります。それが11に含まれる正義になると、「道徳的」な正義になります。
道徳的な正義と言うのは、本来人間が持つ神から与えられた善の意識です。
法律でも、規則でもなく、魂に刻み付けられた善が正しいと選ぶもの。
それを正義として選んだ答えは、本当の自由なのだと思います。
アルファベットを数字に対応させたとき、「9」と「5」が多いことも気になりました。
9の世界全体に5の自由さに次ぎ1のはじまり。奇数が多くて個人数字が多いことが気になります。
社会全体で、と言うより、より個人の表現や動かす力が強くなるというイメージでしょうか?
個々の力は微々たるものですが、一人の言葉が広がり100人1000人と増えていけば、それはいずれ社会を動かす力になるかもしれません。社会から「こうだ」と言うもの教えられてきたものの概念が変わるのかもしれません。
前置きが長くなりましたが、令和の可能性は、
「今までの日本固有の悪い習慣や負債を悔い改め断ち切り、国民はより自由に、そして誇りで繋がる」
国民性というのは根深く染み付いていますが、未来に繋げたくない悪習は声を上げ反発して自由を勝ち取っていく。
それは暴動や暴力に訴えるのではなく、個を尊重した話し合いによって改善されていくのだと思います。
日本国民としてどうありたいか?を個人で体現していく。どんな表現の形でも、日本の未来を創るのは私たちです。
選択の自由を得るために、未来に選択肢を増やすために、わたしたちは何を残し、何を切り捨てて未来に続く道を作っていくのかを考えていく元号だと思ったのでした。
1+1=2 で2は対比の数字、他と個を比較して考えることが必要な数字です。
改めて、「残したい日本の善さ」を考えてみませんか?
平成の数字は5だったので、平成の善さも一緒に振り返りながら。
あて数字で見ると「令和」は「00」。あら、00が二つ並んだら「∞」。無限の可能性も含んだ元号ですね。
おしまい。